
特集「マン島旅行記」
Country

イギリスのようでイギリスでない島国
マン島TTレースの開催される「Isle of Man(マン島)」は、グレートブリテン島とアイルランド島に囲まれるように浮かぶ人口9万人ほどの島国。
外交と軍事はイギリスに委任するものの、自治権はマン島政府が持ちます。
二輪の聖地としてだけでなく、その歴史的な成り立ちから映画の撮影地、鉄道、金融の街としても有名です。
決してレースだけでないマン島の魅力を伝えるために、過去に撮影した写真を用いながら、この章ではその魅力の一端に迫ります。
Race

走る実験室
「マン島TTレース」は1907年から続く、現存する中では世界最古、かつ最高峰の公道オートバイレースです。
レース時の最高時速は320km、平均時速でも210kmを超え、これまでにその危うさから250名以上もの人が命を落としてきました。
それでも尚、多くの人々がこのレースに魅せられるのは、世界で最も伝統があり、挑戦、完走するだけでも栄誉があり、 “走る実験室”として研究開発の最先端の場であり続けたからです。
2009年からは時代のニーズの高まりを受けて、走行時に排気ガスを出さないゼロエミッションのクラス「TT Zero class(事実上の電動スーパーバイククラス)」が新設されました。
Turning Point

“Honda”の名前が世界に知れ渡った日
空港から首都ダグラスに向かうまでの途中に、歴代のマシンや資料が展示されている博物館「Murray’s Motorcycles Museum」があります。
その一角で、Hondaの名前を確かめることが出来ました。
実はマン島とHondaのつながりはとても深く、1950年代にはまだ無名だった極東のイチ二輪車メーカーが世界的なまでに名前を知らしめることができたのは、他でもなくこの地で1961年6月12日に悲願の初勝利を収めることが出来たからです。
アメリカのフォードが1903年、日本のマツダが1920年創業なのに対して、Hondaの設立は1946年と実は世界でも後発の部類で、1950年代にはレースの場で実践的に技術を磨き、知名度を飛躍的に高めていく必要に迫られていました。
創業者、本田 宗一郎による有名な“マン島TTレース出場宣言(1954年)”以降、足掛け8年で世界グランプリ優勝という大金星を成し遂げたのです。
オートバイ文化に関わる歴史的な背景から、マン島人と日本人は関わりが深く、親日派が多いのもこの島の特徴です。
Street Circuit

Escape Zone
現代のサーキットには大抵、コントロールを失ったマシンのために、安全確保を目的として砂利や芝生などで覆われた「エスケープゾーン」が設けられています。
しかしマン島の公道サーキットにエスケープゾーンは皆無で、それが死傷率を高める大きな一因になっています。
道路脇に張り巡らされた外壁の一部は元々、国防を目的につくられました。
マン島は5世紀頃にアイルランド人が移住し、その後一時ヴァイキングの侵攻を受けて、ノルウェー王の統治下に入りました。
13~18世紀にかけては、スコットランドとイングランドが何度も争い、支配権が二転三転したのちに、18世紀以降はイギリス王室が領主となり、併せて自治権はマン島政府に帰属することとなった複雑な歴史を持ちます。
今日でもその日の痕跡を、サーキット脇の外壁をはじめ、中世に建てられたルシェン城など至る所で見ることが出来きます。
Parliament

現存する世界最古の議会
首都ダグラスから西に20分程走ったところにある「Tynwald」は、現存する世界最古の議会です。
マン島はイングランド法のベースとなった独自の法律を有しており、民主主義国家として世界でも有数の歴史と伝統を持っています。
Offshore

Tax Haven
マン島の主要産業は農業と観光、金融で、特にタックス・ヘイブン(税金回避地)としても有名です。
非居住者は所得税、相続税、 キャピタル・ゲイン税(株や債券など、資産を売却して得た利益にかかる税金)、インカム・ゲイン税(株や不動産など、資産を保有していることで得た利益にかかる税金)などの税金がかかりません。
そのため世界中の投資家や資産家、企業がマン島の銀行や保険会社などの金融機関にお金を預け、資産運用や資産保全を行っています。
いずれの金融機関も数十兆規模の莫大な金融資産を有しており、香港やドバイと違って非常に歴史の長いオフィショアであることから、S&PやMoody’sからその信用力で最高の評価(AAAおよびAaa)を受けています。
尚、マン島で資産が増える分には税金はかかりませんが、日本へ資産を戻す際には税金を納めなければならないので、注意が必要です。
Railway

19世紀から現役を貫く鉄道
マン島は交通遺産を豊富に有しており、1876年開業の「ダグラス馬車鉄道」や1895年開業の「スネーフェル登山鉄道」など、その多くは19世紀に整備されたものです。
「マンクス電気鉄道」では、現役中世界で最も古い電車が1893年より運行されています。
写真の「マン島蒸気鉄道」は1874年開業で、イギリスの幼児向けテレビ番組「きかんしゃトーマス」のモデルにもなりました。
Superstition

妖精の橋
木漏れ日が心地よく差し込む並木道、Murray's Motorcycle Museumのすぐ近くのところに妖精が住むと迷信の伝わる「Fairy Bridge」があります。
言い伝えによれば、“橋を渡るときは妖精たちの住む小屋(写真左側の見えないところにある)に向かって幸運を願い挨拶をすること、挨拶をしなければ妖精たちが悪さをする!”という。
けっこう当たるらしい。
Air Show

Red Arrows
マン島政府は毎年一定の税金を納めて、イギリスに外交と軍事を委任しています。
「レッドアローズ」はイギリス空軍のアクロバットチームで、本国を拠点に欧州各地で年間50回以上ものエアショーを行っています。
エアショーは至る所で開催されているので、ひょっとしたら渡欧期間中に何度か観覧できる機会に恵まれるかもしれません。
Town

古き良き趣
地震がほとんどない欧州の文化圏では、築100~200年の家が平然と残っています。
かつての伝統的な景観は関東大震災や空襲で多くが焼失し、戦後は高い生産性と最先端のものづくりで産業に活力を見出してきた日本に対して、古く、本質的な美しさを持つものほど価値を持つという欧州人の精神的な豊かさは、我々にとっては少し羨ましくも思えます。
我々デザイナーの多くは学生時代、また社会人となってからも、一瞬の注目を集めるために、新しい物事を生み出すことや効率を追求することに価値が置かれがちですが、これらの景色を見るたび、その精神的な豊かさを失ってはいないかと自分に問います。
Film

映像の中の世界
マン島はどのスポットも、まるで映像の中に入ったかのように美しい町並みや自然が途切れることなく広がっています。
実際、映画のロケ地としても近年登場する機会が増えており、ジョニー・デップ主演の「The Libertine」や、過去にスター・ウォーズでオビ=ワン・ケノービ役を務めたユアン・マクレガー主演の「Miss Potter」がこの地を舞台に撮影されました。
Off Shot

レース後
パパの運転したオートバイを一生懸命にお掃除する男の子。
マン島TTレースの魅力は、世界最高峰の市街地レースでありながら、パドックの雰囲気が一般の人にも分け隔てなくアットホームで、各チームとも家族が一丸となって取り組んでいるところ。
これは日本の鈴鹿8耐にも似た雰囲気がある。
男の子が将来夢を持って、大きく育ちますように。
Sunbathing

太陽が出ると
マン島の港にて。
ワイルドマッチョなチョイ悪オヤジにはビッグバイクがよく似合う。
冬場の日照時間の少ない時期を乗り越えて、夏場になるとより多くの日光を浴びたいのか、マン島で見かけた男性は太陽が出るとすぐ上半身裸になりたがります。
もちろん港だけでなく、街中でも平気。
日本に帰国してから気付いたことですが、表参道や渋谷など都心部では控えめですが、11月に入っても尚、半袖姿の欧米人は多いです。
一説には、日照時間に起因する理由の他、筋肉量の違いも影響しているらしい。
タトゥーがファッションや文化として定着する理由も頷けました。
Capital

首都ダグラス
時刻は20:18。
辺りはまだ明るいが、写真右側で多くの人が賑わっているのは、地元のビールメーカー「Bushy's」が首都のあるダグラスの海辺に仮設のパブを設営し、またその奥で移動の遊園地が営業しているからです。
仮設のパブはマン島TTレースの開催期間中毎晩23時まで開いて、現地の友達をつくるのには打ってつけの場でした。
Pub

英国文化圏
レースウィーク中、多くの人で賑わった仮設のパブ「Bushy’s Beer Tent」はレースの終了とともに一気に撤去されてしまいました。
ただここは英国文化圏、街の至る所にパブがあります。
レースウィークが終わってしまったので、店内に観光客はほとんどおらず、地元民で溢れていました。
日本と同じ島国なので、アメリカと比べて気質的に内気と言われるものの、観光地ということもあってか初対面でも皆さんとてもフレンドリーでした。
リフレッシュをしたり、新しく友達をつくりたくなったら、ふらっとパブに寄ってみるのいいかもしれません。
Starting / Goal Line

スタート / ゴールライン
マン島TTレースはF1のように一斉スタートで先着を競うのではなく、写真のスタート / ゴールラインから10秒ごとに1台ずつスタートして、ラップタイムの速さで勝敗を競い合います。
私たち“SAKIGAKE”は、2025年6月にこのスタート地点に独自設計の電動スーパーバイクで立つことを目指します。
既存のエンジン車をベースにして電動に改造する手法ではないので難易度は高いですが、トライする価値はあると考えています。
姿カタチのなかったところから、物事が出来上がっていく瞬間には大きな喜びがあります。
とても挑みがいのある戦いです。
さあ、行こう!
挑戦の舞台へ。